製品が生まれるまで

開発ストーリー

世界が舞台、<br>ボーダレスな電気設計。
  • Story

世界が舞台、
ボーダレスな電気設計。

自動車工場・コンベアシステムの世界基準構築プロジェクト

OUTLINE

各国の自動車メーカーは、世界中至るところに工場を設立してグローバルな生産体制を構築している。品質の高い自動車を1台でも効率よく生産し、一人でも多くの人にクルマのある豊かな生活を届けるためだ。しかし、それだけではない。工場の建設はその国や地域に新たな雇用を生み、現地に潤いをもたらすのだ。そんな重要なカギを握る自動車工場。どの国で誰が使っても、安全で円滑に稼働させるために、当社のオートメーション化されたコンベアシステムの存在が欠かせない。そんな使命を全うするために、今日も彼は世界を股にかけ、ものづくりに挑戦する。

南アフリカ駐在、 倍々ゲーム。

2004年の夏。高度を下げる旅客機の窓から、私は美しい海岸線の景色を眺めていました。ここは、南アフリカ共和国の都市ダーバン。年間を通して温暖な気候から、世界でも有数のリゾート地です。しかし、「猫の手も借りたいくらいだ」とはじまった私の海外初出張は、帰国するまでの 2週間、怒涛の日々でした。目的は、日本の自動車メーカーが建設した工場に、コンベアシステムを導入すること。工場に着くやいなや、コンベアを動かす制御盤の動作をチェックします。図面どおりに部品がつながっているか。正確に作動するか。一つひとつ、入念に確認する。日本と南アフリカではインフラ事情も異なるため、予想外のトラブルも頻発しました。原因がわからず四苦八苦しているときこそ、体内にアドレナリンが充満する。「絶対に間に合わせてやろうじゃないか!」と。今思えば、当時任されたのは小規模でシンプルな構造のコンベア。だけど、入社1年目の私にはレベル違いの強敵でした。忙しそうな先輩を無理矢理つかまえてはアドバイスを求める。どうにかして納期に間に合ったものの、もうグッタリ。日本へ帰国する機内では、22時間寝っぱなしで、ただただ込み上げてくる達成感に浸っていました。

時を隔てずして、再び南アフリカ共和国に出張することになりました。クライアントも、案件も同じ。ただ、駐在期間は1ヶ月。前回の2倍です。それだけ任される仕事の量も多くなり、より高いスキルを求められることに。前回は指示待ち状態でしたが、今回は自分で判断して、主体的に動けるようになりました。大事なプログラムのチェックと修正も先輩に任せてもらえて、「やっと本当の意味でチームの一員になれた」と思えましたね。この成長が認められたのか、帰国してからまたすぐ3度目のダーバンへの出張が決定。今度は2ヶ月。ちょうど倍々ゲームです。もう、物怖じすることもありませんでした。

メーカーからのお誘い。次は「世界基準」を設計する。

南アフリカ共和国での仕事は、意外な面で私の転機になりました。現地での働きぶりを見たクライアントの担当者が目を掛けてくれて、ゲストエンジニアとして自社工場に招いてくれたんです。自動車メーカーに常駐して、生産ラインの基準をつくるのがミッション。電気専門の技術者で常駐するのは社内初の試みでした。こんなチャンス滅多にない。世界でも指折りの企業で技術を磨ける上に、自分の仕事がこれからつくられる世界中の工場に導入され、多くの自動車がつくられる。心が弾まないわけがありませんでした。

「さすが世界トップクラス!」。いざ働き始めると、自動車メーカーの仕事はとにかく緻密でした。たとえば作業する人の安全確保。コンベア本体から一定距離離れた位置にセーフティライトカーテンを敷く。そこに作業者が侵入したら機械がストップするしくみ。設置方法から制御方法まで、一切の妥協は許されない。調整には困難を極めました。他にもトータルFA化に向けて、操作方法の確立、動作フローの標準化、制御盤の構成における取り決めなどなど、多種多様なルールづくりに携わりました。働くメンバーも新鮮で、普段は競合他社である技術者たちともたくさん出会いました。ここぞとばかりに頻繁に情報も交換。技術者としての視野を広げるいい機会にもなりましたね。私が考えた基準は現在も世界中で採用されており、各国の自動車工場で浸透しています。取引先の方もこの成果を認めてくれたようで、常駐が終了するときには「残ってくれ」と言ってくれました。いちエンジニアとして、とても誇りに思っています。

日本から、中国を救ってみせる。

自動車メーカーへの常駐が終了したのは2010年。そのあと、すぐアメリカへの出張が決まりました。クライアントは今度も同じ。メンフィスを拠点に、ミシシッピ州の工場に導入するコンベアの導入に携わりました。そのときに、自分が確立した各種基準に従って、電気設計を進める機会がしばしばあったんです。まさか、海を渡ったこんなところで自分の仕事に出会うとは。「そうそう、機械の電源を入れるときは、このボタンを押すように決めたんだよな。」「あの頃は大変だったなあ…」と、感じ入ってしまって。この驚きと喜び、中西金属工業の電気設計冥利に尽きます。

もう一つ、この仕事だからこその喜びがあります。それは、国籍や言葉の垣根を越えて喜びを分かち合えること。プロジェクトのほとんどは、一切の失敗を許されないものばかり。チームの士気を最大限に上げて、全員の力でコンベアを稼働させる。そのとき、現場の雰囲気は一変します。はちきれんばかりの笑顔で「GOOD JOB!」とハイタッチ。喜びを分かち合うのに言葉なんか必要ないんですよね。電気設計の仕事は、形として残るものではありません。だけど、異国の仲間たちと成し遂げたプロジェクトが、回り回って、世界中の人々を幸せにしている。そう思うと、非常にやりがいを感じられる仕事だと思いませんか?次の挑戦はヨーロッパ。今日も私は、空港へと車を走らせています(笑)。

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