立ち向かってきたこと
先輩社員インタビュー
特機事業部 事業企画部
派遣社員から正社員へ
中学でニュージーランドに。大学ではアメリカに。それぞれ1年ずつ留学した。違う文化の人たちとコミュニケーションするのは刺激的だった。別の企業で数年働いたあと、派遣社員でNKCに。英語は久しぶりだったので少し心配だったが、やってみたらなんとかなった。1年半で正社員に。この会社のいいところは働いてる人がみんな楽しそうなところ。一見最悪に思える状況であっても、「大変やなあ」なんて言いつつ、みんなでワイワイしながら、乗り越える。そんな風土が自分には合っていると思う。所属している特機事業部の事業企画部は、部署全体の予算管理を行う部門。工場業務などを運営して上での全般的なサポート、全体最適化の手立てを考える。私はフィリピン工場の対応窓口を担当している。生産計画を進めるために、現地に部品や材料を送って組み立てを依頼する。現地の担当者に材料等の不足がないかをチェック。生産後は国内に再輸入する手続きを進める。いつまでに、どの製品を、いくつ入れるか。その一連の流れを管理するのが私の仕事。
2020年、コロナ禍でフィリピンがロックダウンした。誰も経験したことのない世界。まだ稼働中の現地工場もいつまで生産できるかわからなかった。一方で、日本の工場は稼働している。お客様には製品を収めないといけない。現地に掛け合ってどこまで生産できるかを精査してもらいつつ、こちらはどの型番を優先して生産するか、生産計画を検討する。製品によってかかる時間やラインが違う。工数と時間を睨みながら数量を決めていく。お客様とも連日テレビ会議が続く。キリキリした調整が2、3か月続いた。この経験は自分の考える物差しを変えるきっかけになった。工数から逆算して生産計画を立てる。反対に、仮説の計画から工数を計算する。今までの私なら試算結果を報告するだけだった。同じ報告をするのでも、自分の考えをもって報告するようになった。責任感だけではない。今、この仕事をしている自分にしか見えないものがあるから。納得のいかない方向に進んで、後悔するのもいやだった。そんな私の変化を周囲も受け止めてくれた。
ロックダウン解除後も、基幹部品を安定供給するため、フィリピン以外の拠点(日本と中国)の活用と自動機の導入を推進した。自動機が安定するまでのスケジュールについては、完璧な正解がわからない中で、自分なりの計画を上司に提出した。まず、部品の調達スケジュールを立て、現地でのデリバリー方法まで詳細を詰める。ミスの起こりやすいスポット生産のリスクを抑えるために、現地との調整は慎重に行う。コミュニケーションを密にしながら、最終製品の出荷までこちらでウォッチする。プランの隅々にまで意志をこめた。このプランでゴーサインがでた。他部署と調整を図るために、上司も骨を折ってくれた。「オッケー、ノープロブレム」。無理難題を笑顔で受け入れてくれた現地のスタッフ。関わるすべての人に感謝の気持ちが湧き上がる。私はこの仕事と職場が好きだ。
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